希死念慮(回顧その54)
超ネガティヴになると思うので途中でも引きずられてしまう方は読まないようにしてください。
これを回顧することは避けて通れないかなと思った次第です。
回復期の病院にあった本でも書いてあった。患者側からみたものでも載ってました。
にほんごがこんなふうにみえたのよ!~39歳で脳出血! オレの片マヒ&失語な日常~
- 作者: 山?明夫,牟田育恵
- 出版社/メーカー: 株式会社QOLサービス
- 発売日: 2016/07/11
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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やっぱり誰しも通過するものかと
どうして起きてしまったのか
どうしてこんな身体になってしまったのか
なぜ生き残ってるのか
答えの出ないどうして、なぜの繰り返し。
出費していくものばかり。
保険でもカバーできない。
職がない。収入が途絶える。
正直、あのまま倒れたまま、戻ってこなければ保険も資産も年金も残せただろうに。
自分で自分の存在を否定するかのように。
外歩きリハ中によろけて車にひかれんかなとか
眠剤大量に飲んだら
この中に精神異常来たした人がまきこんでくれないかな
ここ(3階)から飛び降りたら
もう一度再発したら一撃で
まぁ結局自らではなく環境まかせでこの苦しさを終わらせてくれたらとばかり思ってました。
その方が周りの人がしょうがないかと思う。
自ら終わりにするのは周りの人にどうして、なんでを残してしまうのだろうと思ったからだと思う。
休職期間満了=離職を境に
自己肯定感などかけらもなかった。
今でもちょっとした言葉に存在を否定されてるのではないかと受け取ってしまうこともしばしば。
先に逝ってしまってラクになることの無責任さを感じてしまっているのだろう。
昔、子供が小さい時に大きな環境変化に心が病んでしまった。
消えてしまいたいと思った。ある時聞いてしまった。
「とーさん、いなくなってもいい?」
小さく俯いて
「やだ・・・」
この子のために生きようと。この子が大きくなるまでは。たった一言で命を救われた。
あの時もそうだった。
生きたいというエネルギーが弱っていただけ。
死にたいというわけではない。
これからなんのために生きていこう?
生きたいというエネルギー源はどこにあるのだろうか?
「楽」と書いてラクとしか読めない。たのしむという発想がかけらもないようだ。
「苦しむ」と書いて「たのしむ」と読むようにしている人がいってくれたっけな。
転機は確実に来ているし、決断していく時だが、まだ時間はある。摸索していきたい。