48歳で脳出血。~乗り越えられない試練はない~

48歳で脳出血で倒れ片麻痺となって社会と制度と身体の格闘日記

第2回カンファレンス(回顧その67)

主治医、看護師、リハ担当スタッフとの第2回の打ち合わせの日がありました。
初回は、主治医が途中で断りもなく退席していくし、何のためにあるのかさっぱりわからない。早く社会復帰をと高次脳機能障害の検査結果と回復の程度、退院の目処を聞くだけでした。
2回目は主治医はいませんでした。はぁ〜?
スタッフも理由すらいいません。こういう人は医師としていてほしくないです。患者が迷惑します。
「いつ退院されますか?」
??????
「こちらが決められるものなのですか?」
「はい。医師に確認しています。ご家庭のご事情もあるのでそれに合わせていただいていいですよ」

まぁ受け入れる側が整っていなければ、そうですよね。転院の時も日程調整してましたっけ。
月末いっぱいとも頭に浮かびましたが、とにかく入院費高い。

休職期間満了→離職(収入ゼロ)
保険(共済のみなのでわずかの足し)
バカ高い国保(傷病手当がない、前年所得がきいて一気に保険料アップ、減免なし)
年金支払(国民なら一律。妻の分もかかっちゃうんですよね。免除申請したけど)
住民税(普通徴収で一気に取り立てがくるはず)
住宅ローン返済(検討した跡があるも三大疾病保険つけておらず、どうもガンになるのは可能性あるだろう。ガン保険入ってるしと入っていない)
これだけの大出血を早く止めねばならない。脳出血の量も多かったみたいだが、こちらの方が厳しい。
月を跨ぐと高額療養費で入院費が嵩むだろう。
あとは雇用保険しかない。求職中で、はたらける状態にするためには一刻も早く退院せねばならない。

「シルバーウィーク明けでお願いします。」

退院日にその足でハロワに行く事を想定した。
一刻も早く支給してもらわねばと。
あわよくば丁度申し込み締切日になっている職業訓練も申し込みできればいいと思っていた。

正直せっかちである。状態を鑑みて社会復帰をしていくのに全体を見渡せていなかったです。退院=社会復帰可能ぐらいに考えていたから。
退院日は決まったけれど、このあと神様はブレーキをかけてきます。

※これで回顧も67記事=通算入院日数となりました。
そんなに書くことあるかなと思ったほどですが、あったみたいです。もう少し書いていきます。