6ヶ月という期間
本日で発症後184日。退院後118日となります。発症の日から6ヶ月がという期間を過ごすことになります。何が変わったのでしょう。
発症したときは意識もなく、意識を取り戻した後は状況が一変し、状況はどん底から回復していくものの、決して発症前には戻らない。制度の壁と社会の壁をつきたてられどんどん不安を掻き立てられる。
この6ヶ月で何が変わったのか。
身体
見た目は変わりませんが、左片麻痺の後遺症が残りました。
左上肢に若干のしびれと肩回りの違和感が残っています。あと左半身の皮膚感覚が圧痛過敏があります。握力は回復したものの、指先の動きがしびれのせいか器用ではありません。PCのキー操作ミスが出るくらいです。(利き手でないのでもともと不器用)
左下肢の太腿の筋緊張が激しく、膝関節まわりと足首のしびれ、やはり麻痺だからか力が入らないようです。徒手での抵抗ができないというか。おかげでバランスも不安定です。装具をつけて歩きます。普通に歩けるとみえがちですが、荷物持ったり長い距離の歩行はかなりの体力消耗です。歩行スピードは速い方で、小走りもできたんですが、今や通常の方の8割のスピードです。
脳
脳出血でかなり大きい血種が認められたようですが、幸いダメージを負っていないみたいで、高次脳機能障害は認められないとされています。ついうっかりといった失行、失認はありますが、これもせっかちなど性格もあるでしょう。発症がどう影響しているかわかりません。時々生あくびがでます。これって発症前に気をつけるべきといわれるものですが、なぜかでます。頭使うと疲れやすいというのは事実かもしれません。
生活
職業訓練に通うようになりました。手に職というのもありますが、生活リズムをつくるリハビリの一環です。もう一つは介護保険でデイサービスのリハビリを週一回活用してます。医療リハビリではなく半日つぶされてしまいますが、脚のケアのために使っています。
食事
甘党でよく食べてましたが、減塩であまり好きなものをガツガツ食べなくなり、
お菓子も同様に食べなくなり、食べるときは真っ先に成分表の食塩相当量をチェックします。お酒も飲んでいません。そういえばたばこの匂いに嫌悪感を覚えます。たばこやってたらもっと早く発症してたのではないかと思うぐらいです。
趣味
旅が好きで、一人でどこにでも行く性質でしたが、こんなに時間はあるのに、まだどこにも行っていません。景色や街並みを楽しむことよりも外出での消耗を避ける傾向になってしまいました。手帳やマイレージ使えばいいのに。脳の働きに一抹の不安もあるので、車の運転を控えているのも出不精の要因です。
性格
もともと論理的なので、段取り、計画などきっちり順序だてることをするのですが、スピードが遅くなったことからせっかちになったと思われます。社会弱者という意識からあまり言葉に出さない、人との交流を避けがちになっているのかもしれません。
収入
離職を余儀なくされ、雇用保険生活です。平均賃金額の〇割という金額がいつから基準が変わったのか金額幅毎に設定されていて、バカ高い国保と住宅ローンの返済額設定からこれまでの水準から収支マイナスの生活です。
薬
降圧剤と整腸剤を投薬されています。上100-110ぐらい 下60-70低め安定です。たまに120ぐらいでるとおろおろします。逆に90ぐらいのときもあって、大抵、当初は薬が効きすぎていて今は休養できていたり心が安定しています。
発症も高血圧が原因といわれてますが、もともと自律神経が弱いので、ストレスが起こしたものだとも思っています。ストレスを寄せつけないことが一番大事なのかと思います。
こんなところですが、書いてみると人が変わっちゃったなと思うぐらい自己概念が崩壊です。
未知のものにもしっかり調べて課題を立てて挑戦していく自分はいったいどこにいってしまった?と自己肯定感、自己効力感はないですね。
6ヶ月間自分と向き合ってきて、大事だと思うこと。
あきらめてはならない
行動あるのみ。不安を消せ。
信じて待つのみ
これから6ヶ月の回復曲線の壁にさしかかるといわれてます。
人間は一人では生きていけないです。先のみえないことに、不安で押しつぶされそうになります。
まだここまで崩れずに生きてきていることに
手段は百万通り
まだできうる手段はほんの一部しか行ってきていないという考え方が根底にあります。
待ってて何も進まずに、あーもうダメだと思う頃、天の助けかと思うほどギリギリで何かが動き出してきました。
明日から7ヶ月目に入ります。
今からここから
半歩ずつでも歩んでいきます。リハビリの時のように、なにか目標というか夢が持てるといいのだと思います。