48歳で脳出血。~乗り越えられない試練はない~

48歳で脳出血で倒れ片麻痺となって社会と制度と身体の格闘日記

生きるって

うちは電話が鳴っても誰もとろうとしません。
留守電機能も番号表示機能もなくて
とれずになんだったか気にならないのでしょうか。
実家から電話があるとドキッとします。それは自分がとった時でもスマホに電話があった時でも。
何かあったのかと。

私のいとこが亡くなったと。しかも自死で。歳は離れていて幼い時の姿しかわかりません。理由はわかりません。離れたところにいるので電話で連絡があったのでしょう。伯父も詳しくは話してないのではと思います。

>愛する者、親しい者を失う死別は、
>残された者たちに生きることを問うものです

生きることを問われ続けてることばかりです。
この身でこの先どこまで生きるのか?生きる意味を見出していけるのだろうか?
先月亡くなった愛鳥まる(インコ)は今でもその姿を鮮明に愛くるしい姿を思い起こさせます。
生きていて欲しかった。
まるで私の社会復帰することを見届けるかのように先に逝ってしまって、結婚して海外で挙式を挙げ、新婚旅行中に逝ってしまった入院中の義父とも重ね合わせてしまいます。
生きて欲しいと思っているんだね。
以下のブログで救われた気持ちです。
いつか逝く時はあの世でまた逢えるよね。早く逢いたい気持ちもあるけれど。まだ自分にできることでいっぱい生きた証を作って、あの世でたくさん話ができますように。

https://ameblo.jp/sourupetto/entry-12449256839.html?frm_id=c.am-header_l.dr-home_r.am-ameblo