48歳で脳出血。~乗り越えられない試練はない~

48歳で脳出血で倒れ片麻痺となって社会と制度と身体の格闘日記

雇用保険と障害年金(久々の回顧)

今週のお題「もしもの備え」

2年前の今頃は、入院からリハビリでの回復も順調にきて、自宅へ一時外泊で戻ったころです。
ちょうど台風も来てたかな。
このブログを書き始めたときは、この病気は情報が少なく当事者の方のブログの情報を
読んでたので、同じ境遇の人で参考になればと思い、また自身を振り返るために
記録を残しておきたいと思ってました。
ブログを書き始めたのは退院してから数か月のことです。一回り(1年)生活したからでしょうか、
去年より2年前のことが結構蘇ってきたりします。

今日、雇用保険の追加給付のお知らせが届いていました。
例の統計改ざん問題で失業手当の計算が間違っていると国会でも取り上げられたやつです。
ハロワ名で送られてきて「お客様」は追加給付に該当しますので振り込みますだって。何?お客様って???
当時、苦しんだのが書類の申請やら手続きでしたね。
入院中に離職を余儀なくされ、とにかく出費は嵩む。
リスクヘッジ医療保険とか)をとらなかった人生にまさかの出来事。
なんだかタブーなのか、多くのブログを読んできてもこの辺ことって載っていない。載せていないのだろうか。

今まであいまいに書いてきたけど、目指しているのは社会保険労務士の資格をとることなのだ。
法律系で難関資格なので簡単に受かると思っていない。
落ちたら恥ずかしいというのもあっていわなかったけど、もともと来年が目標。大学受験みたいな感覚もってる。
有言実行がモットー。ここで公開しておこう。
社会保障は国にとっての大きな課題。
結局自分は給付の対象なのか、要件に該当するのか、今の状態でできることは何か?そんなことをよく調べたっけ。
行政の窓口は残念ながら縦割りで、的を得た回答が来ない。
彼らは法令に基づいて仕事をしているので、法令に照らし合わせた質問には回答できるが、
それ以外はたらいまわししてくる。
自分の関わった難解複雑なものについて、せっかくだからその世界を覗いておきたい。
キャリア形成の一助にしたい。老後のことも考えた。今目指そうとしているのはこれらからではある。
雇用保険のお知らせの意味も、あの時職員の言った意味も今では背景はわかる。

今一度、今の時期、手続きに苦しんだ雇用保険障害年金について振り返っておきたい。

さて、雇用保険

入院で働けない身。救急で搬送されて翌月、会社より休職届を提出せよとのことだったが、
ものの見事に1ヶ月で休職期間満了=>退職という就業規則上の処置をとられた。
やられた。転職まもなく在職期間が短い人は休職期間が短いのは知っていた。
8月1日から休職、8月最後の週のことだった。もともと、そういう目論見だったのだろう。
問題にならないように、異動先を検討するという話で気を持たせ、
結局検討したけど難しい、長く期待させてはいけないので、という話だった。
突然、入院先へ乗り込んできたのだ。普通のメンタルなら絶望です。たぶん言いにくかったのでしょうね。
その時は両親も見舞いに来ていた。心配させてはいけないと、とにかく平静を装った。
リハビリの回復目覚ましく、月末までにおためしの出勤ができるよう
ソーシャルワーカーを通して、主治医に、外泊許可を頼みこんで了承をとりつけていた矢先のことだった。

順調とはいっても、自分は再発してこのまま帰らぬ人になるかもしれない。
生活はこの先どうなるのかもわからない。

転職先を入院の部屋で探してキャリアアドバイザーとコンタクトもとっていた。
これまでとってきたキャリアのおかげで応募先の候補だけはでてきた。
「過労で倒れまして入院中ですが」、といったときには絶句されたけど。
(ちなみに、退院後も相談したけど障害のことは履歴書に書いた方がいいかと聞いたけど、
 何も得にならない。書かずに応募するというのがアドバイスだった。嘘である。雇用が成立して報酬をもらえるのでとにかく報酬ゲットの確率をあげるために
 候補者を送り込みたいだけだった。障害者雇用専門の民間の紹介会社に紹介してもらうのが正解だと思う。)
かつての同僚で企業内弁護士をしていた知人にも連絡していた。

勤務のブラックな情報を送って、もしものことがあったら、家内から相談をさせる。その時はこれで戦えないか検討してほしいと。
難しいと思いつつも労働契約法、労働基準法、労災に抵触しそうな気もあったから。

8月末退職。=無職じゃんと思った瞬間。
収入ゼロ。入院費、住宅ローン、住民税、国民健康保険料、国民年金、家族の生活費、
大がかりな費用がずらりと浮かぶ。転職したり、労務に関わってきたから、すぐにわかる。
貯蓄からどれだけ耐えれるか試算した。万が一、死亡した場合の資産と今加入している保険も書き出した。
何かに残しておかないとわからないだろうから。書き留めて渡した。

ひょっとすると、脳卒中でおりる保険があるかもしれない。
結果は絶望的だった。住宅ローンの団信保険ですら利率をケチって、三大疾病保障付きに入らなかった。
もうちょっと参考になる資料くれたら計算して検討したのに。
今、私がFPで相談受けたら、間違いなく医療の情報や社会保障の資料をもって強くいっていただろうに。

絶望にうちひしがれ、9月の今頃、なんとか外泊許可をとりつけた。ハロワに行くためだ。
なぜなら、失業手当でなんとか出費という出血を押さえたいと思っていた。
8月末で離職なんだよね?って今すぐ離職票を発行して!と会社と交渉した。
労務を委託している社労士は退職願を出せといっているらしい。

絶対に出せないと休職期間満了による自然退職と書いてほしいと交渉してもらった。
調べに調べましたよ。
下手すると自己都合退職になる。3ヶ月の待機期間手当はでなくなる。
そもそも手当はどれだけ出るのか、どれにあてはまるかのわからない。

産業カウンセラー仲間でハロワの職員の知人に連絡を取った。
経緯は包み隠さず話した。
入院中であること。
休職期間満了により離職を余儀なくされたこと。

そこでわかったことは
受給期間延長届を出す必要があること。
特定理由離職者か就職困難者に該当しそうであること(支給されない3ヶ月の待機期間は避けられること)。

それをもってしても立ちはだかったのは、雇用保険法でした。
ハローワークは厳格にこの法令に基づいて手続きしてくれる。

失業とは「仕事を持たない」「仕事を探している」「すぐに仕事につくことができる」の
3つの条件を満たさなければならない。
手当てがでるには失業の状態で離職前2年間に雇用保険の被保険者期間が12か月以上必要となること。

交渉して発行してもらった離職票を出したら、前の前の会社の離職票も出せという。せっかく発症以来自宅に戻れたというのにゆっくりもできず涙目で探した。
今ではわかる。2つ目だ。半年しか働いていないので、離職前2年間に雇用保険の状況を見る必要があるからだ。

もう一つ。待機期間はない(誰でも7日間はある)。事前に情報を得ていた受給期間延長届を出せということでした。
で、「(障害者)手帳を申請しますか?」と聞かれて、そのつもりと回答すると、
退院したら、就業可能診断書を書いてもらうこと、手帳ができたらまた来てくださいとのことでした。

そんな、退院しないと手当出ないの????って、うちひしがれて帰ってきたものだった。
今ではわかる。
行った時は失業の状態になかったのだ。入院しているので「すぐに仕事につくことができる」条件を満たさない。
そういう人はもらえるものがもらえなくなることを防ぐために受給期間延長届を出すんですよということらしい。
さらに、退院したら働ける状態であることの証明として診断書がいるのである。
もっというと、手帳があると、就職困難者して手当の期間が長くなるということであった。親切でアドバイスをくれたのだ。

それを知らなかった私は、とにかく早く退院しなきゃと頑張ったし、手帳の申請についても回復してきて
障害者手帳も、介護保険も障害は軽いのでおりないかもといわれていたが、そんなのわからないし、
なんとか食い下がったし、出るまでやきもきした。

とにかく説明されても言っている意味がよくわからない。まるで嫌がらせかと思うほどの病院の対応に不信感すら抱いていた。
今ではわかるんですよ。
僕じゃ書けないんでねとの発言にはイラッと来たが、これも法令で指定された医師でないと
手帳の診断書は書けないらしい。書いても無効だから書けないといっているのだ。スタッフに同じ病院内で指定されている医師のスケジュールを確認するよう指示を出してくれたのだ。

続いて、障害年金
障害年金には障害基礎年金と障害厚生年金がある。いろいろ条件がある。
退院して国民年金の減免の払込書が遅れて届いて払込しなきゃと焦って、年金事務所に行ったのだった。
ここでは払い込めません。
えっ、でも。まだ大丈夫ですよ。
よーくみると、2年間までは大丈夫と払込期日が書いてある。完全に勘違いで⚪︎年というところを見落としていた。
これも時効とか追納とかいろいろ知っていたら焦る必要はなかったのだ。
また初診日から1年6ヶ月経過しないと障害認定とならないことは調べて知っていた。
退院はしたものの、なにも収入のあてはない。そこまで待つのは地獄かも、生きていないかもと思いもした。

もう一つ、脳血管疾患による障害に限って言えば6ヶ月経過で認定されるという情報を得た。
年金事務所はこの時いったついでにパンフレットをもらった。親切にもくれた。
概要を把握するためだ。

他の人のブログ読んだけど、当事者も何級であるか、もらっているかどうか書いてあるが、
社労士に頼んだぐらいのことまでしか書いてない。
ボツリヌス療法のことはよく書いてあるんですけどね。(それはそれで参考にさせてもらいました。)

とにかく複雑だ。年金事務所でも相談予約で対応してくれると書いているが、
自分で申請したと書いている人は少ない。何が問題だったのか書いている人もみかけない。
あ、こりゃだめだと思った。たらい回し、出し直しが続くパターンだよ。

次に探したのは、障害年金申請専門の社労士事務所。
結構出てくる。ただし、細かく書いているところはあまりみかけない。
全国対応しますってのも多いけど、メールでやりとりするだけで大丈夫かと思うぐらい。
とりあえず面倒なので、問い合わせのページから、状況を書いて送ってみる。返事が来ない。
もう一度送ってみる。うんともすんとも来ない。個人情報を返せ。
住所をグーグルで探ってみる。どんなビルに入ってるのか外観でもチェックしようかと。どうも閉鎖してるのではないか。

介護保険の時もリハビリでケアマネが紹介してくれた施設から
おためし利用の連絡が来る手はずになっていたが、うんともすんとも来ないことがあった。
ホームページやらいろいろ調べて、問い合わせを送ったけど返事来ず。
どうやら情報を手繰ると、経営がうまくいってないらしい。同じパターンだ。資格を取って開業するところは倫理が問われる。ましてや問い合わせページを作っておいて放置するのは個人情報保護の観点からも会社として成立しない。

手帳は11月中旬に出来たが、まだ発症日から6ヶ月も経過していない頃だった。
結局、報酬も手ごろでホームページがしっかりしていて、
相談にのってくれそうな社労士事務所へ送ってみた。
送ってすぐに電話が鳴った。驚いた。対応が早いのだろう。
そこで、申請はできること、聞いている話からは3級相当だろうということ。
6ヶ月経過してからもう一度連絡するようにと相談にのってもらえました。

介護認定がでて、住宅改造やら、施設のお試し利用やら、
手帳が発行されての雇用保険手続きやら、職業訓練受講できるように申し込んだり、
民間の障害雇用に休職のコンタクトをとるも、職はなかなかみつからない。
年を越さないと6ヶ月は経過しない。確定申告の準備も必要だ。
6ヶ月経過するのを待つのは苦しかった。(6ヶ月経過条件は当時のもの。変わる可能性はあるので注意してください)

さて、晴れて6ヶ月経過して、社労士の方とお会いすることになった。
そこからも大変だった。
結局、書類準備するのはこちら。
診断書を準備するのもこちら。
あとから例の知人の弁護士に聞いたのだけど、あるあるらしい。法律に基づいて処理するのでそうなりがちなのだそうな。
退院後の病院と回復期の病院と違うことが結局足枷になった。

書いてくれっていって、どちらも書いてくれなかった。
いや、書いてくれたけど、申請には不十分な診断書だった。
依頼時には診察等で付き添って、医師に直接経緯を説明して依頼してくれる社労士もいるらしい。
それがなくて一抹の不安をもったが的中してしまった。
社労士から不十分といわれて、どこをどうなおしてもらえばいいか聞いて
病院に持って行った。窓口では、はいはいと受け付けてくれたのだが、そこからトラブった。
医師が書けないというらしい。
さすがに、社労士にどうにもならないから直接かけあってもらえないかと依頼した。

そこで問い合わせしてもらった。
頑と受け付けなかったという回答だった。
今後の見込みの欄があるのだが、6ヶ月経過かつ「症状固定」=治る見込みなしであること。
この記入がなければ絶対に認定されないという。医師はまだわからないから書けないという。
そう。診断書にはわからないというたぐいのことを書いてある。それは自分でも判断できるし、素人でも書けることだ。これでも医者かと思った。

気が狂いそうになった。
予定の診察予約を早めて、直接交渉に臨んだ。
事前にどういう進め方が考えられるかのアドバイスをもらってである。
そのアドバイスも当時は意味がわからなかった。最悪は、1年6ヶ月待つということだった。
つまり自動で障害認定日とされるまで待つしかないということだった。焦ってる。わからない。それで相談したのに、絶望だよね。

この時、手っ取り早そうなのが、回復期の病院に紹介状をもって診断書を書いてもらうことだった。
診察で面と向かって医師に理由を問いただしたけれど、
頑として診断書の記載を変えないのはわかったので、なんとか紹介状をとりつけた。
だけど、回復期の病院に診察自体を拒否された。診察拒否は医師法違反なのに。

もうお先真っ暗でした。ただ病院への不信感と社労士の頼りなさへの気持ちが増大した。
他の選択肢を探った。
結局、悪化している痙縮の治療の部分を他の病院に委ねることにした。
今の病院では見込めなかったから。

結局理解あって、しっかり診てくれる病院に巡りあえた。
医師は当時転院候補にあがっていた回復期リハビリテーション病院にも在籍していたのだ。
何度か診てもらった。

また診断書作成も書類だけで依頼しようとしていたけど、
社労士には二度と失敗しないようくぎを刺しておいたので直接の訪問もあり、診断書は書いていただけることになった。

その後も事務手続きで社労士との齟齬があった。
こちらが事前に確認したり、指摘、修正することもあった。
戸籍謄本などは早めに取りに行ったのがわざわいになって、
直前で取得した日が早すぎるということでとり直しになった。

今ならわかる。何がトラブっていたのか、イラッと来た医療事務、医師や社労士のその発言の背景は何か。
厚生年金保険法だった。

長々と、とりとめもなく書いてみたけど、おわかりいただけただろうか。
(誤字脱字ご容赦を。自分でやろうとしたらもらえるものももらえなかったかもしれない。)
・備えはしておくこと。(身の回りにまさかと思うことが起きている。
            私はよく考えれば身近で脳出血になった方を見ていた。自分事とは思っていなかった。)
・専門家もすべてはみていない。(専門家といえども、報酬を得ることがすべてだと相談してくる側の立場に立ってみることができない。)
・法令に基づいて関係者は発言していること。(縦割りで間違っていることもあるし、担当の判断が違うときもある。)
・道は開けること。(諦めてはいけない。見落としていること。伝わっていないこと。バイアスがかかっていることもある。)
・とにかくネットワークは十分に活用すること。(相談相手は俯瞰してみてもらえる人がいい。
                       たとえば、お金に困っているなら年金の知識もあるFPだったろう。
                       職については経験豊富なキャリアコンサルタントがいいでしょう。)
・専門家の説明の背景を確認すること(目の前の手続きしか説明しない。細かくは法律の根拠を聞くといい。)
・餅は餅屋に任せること(無料だからといって、安心しないこと。有料でもプロに任せよう。)

そして、社労士の資格をとろうとしていることもそんな背景がある。
今から知っておくべきもしもの備えでもある。