48歳で脳出血。~乗り越えられない試練はない~

48歳で脳出血で倒れ片麻痺となって社会と制度と身体の格闘日記

台風接近(回顧その56)

帰りたいのに帰れなくなった。いきなり自然退職に追いやられた。とうとうその日が来てしまった。早く退院せねば。
こうなったら、離職票出してもらって公的な社会保障に頼っていくしかない。

「たまには気分転換もいいんじゃない?」

看護師さんの言葉を借りて、試験外泊(1泊)の届を出し、PT,OTさんの自宅訪問とともに決まった。
自宅訪問は、退院後の生活をいかに危険なく過ごすか工夫するポイント、動作ポイント確認、介護保険がおりた場合の住宅改修の必要性箇所をチェック、アドバイスしてくれるもの。

よりによって台風が接近しているという。お試し出勤を潰されたので書類の準備をお願いするも出来上がってこないという。
法律知ってるの?やめろと決めといて、すみやかに必要なことができないとはこれいかに。

自宅で過ごせるようにPTさんが装具を貸し出してくれた。オルトップLHだったかな。

dev.medicalonline.jp

朝、PT,OTさんとともに出発。とにかく帰ってきた。1ヶ月半ぶりだ。帰ってこれた。涙が出そうになった。

お風呂の入り方、出方の動作チェック、玄関の靴履く際の動作確認、手すり設置位置や階段の手すり位置と降り方、ベッドの高さや起きる時の手の位置、動作順とか、いろいろチェックしてくれた。

PT,OTさんの訪問チェックは終わり。視力が極端に落ちてたので午後から少し外出。その日はお風呂に入って、ゆっくりと眠れた。病室のベッドとは違う片麻痺にはやさしい耐圧分散のマットの機能を初めて実感した。

翌日は台風接近にも関わらず、潰された試し出勤のリベンジに書類に印鑑ついてもらうためにどうだここまで問題なく回復したぞといわんばかりにオフィスに向かった。天候で危険なので両親に運転してもらって、途中手土産を買った。

危険といわれた急な階段を上る。クリアだ。私物を返してもらって、そうだよな、あの日あの時ここで倒れてたんだよな。自分で最後に手配した新しいコピー機が入ってきてるね。

今後のことは考えるという言葉に少し期待を持ち、お別れの挨拶をしてくれる同僚に、すぐに帰ってくるよといって去ったっけ。あれっきりになったけど。

そのあと、離職票ができていると連絡が入る。今日は病院に戻らないといけない。うーん、ハロワに行きたいのに今からだと間に合わない。ハロワで待ち合わせ、届けてもらった。

必要な手続きを確認した。入院中の身。いろいろある。前職が短すぎて前々職の離職票もいるとな。たしかあったな。しかし、今後、何度も足を運ぶことになる。

 

さぁ、戻らねばならぬ。夕食は家族でラーメンを食べた。ここのチャーハンはうまい。

今考えれば塩分よかったのだろうか。自分の財布からお支払い。あっという間の疑似日常生活だった。ここから想像もしなかった長い種々雑多な手続きとの格闘がはじまる。

まさに台風一過な外泊だった。(外泊じゃないって帰宅だって。)

 

今日はこの辺で。

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